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京都:渡月橋と嵐山の秋 [京都]

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京都の紅葉を撮りの目的の一つ渡月橋と嵐山の紅葉映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「渡月橋(とげつきょう)は、京都府京都市の桂川にかかる橋である。橋北側は右京区、南側は西京区である。北から渡月橋を渡ると、中之島(嵯峨中ノ島町)を経て嵐山の麓に至る。承和年間(834-848)に僧、道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には、後年に角倉了以が架けたとされる。現在の橋は1934年(昭和9年)完成。橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製だが、欄干部分は景勝地である嵐山の風
景にとけ込むよう木造となっている。

嵐山(あらしやま)は京都府京都市の観光地。国の史跡および名勝に指定されている。本来地名としては西京区(桂川の右岸)を指し、左岸は右京区嵯峨である。嵐山は桜や紅葉の名所である。京都市街の西に位置し、平安時代に貴族の別荘地となって以来、京都の代表的な観光地となっている」と記載されています。

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Wikipediaからの抜粋
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Wikipediaからの抜粋
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Wikipediaからの抜粋
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Wikipediaからの抜粋
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京都:常寂光寺多宝塔と紅葉 [京都]

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京都の紅葉を撮りの目的の一つ「常寂光寺」の多宝塔と紅葉映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は京都府京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。山号は小倉山。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。」と記載されています。

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鐘楼:Wikipediaからの抜粋
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多宝塔(重要文化財):Wikipediaからの抜粋
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多宝塔と紅葉:Wikipediaからの抜粋
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京都:光明寺の紅葉 [京都]

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京都の紅葉を撮りの目的の一つ「京都府長岡京市光明寺」の紅葉映像をご覧下さい。

光明寺HPからの抜粋ですが「西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地であります。
法然上人が24歳の時、奈良へ学匠となるべき師を求めて叡山を降りられたとき、この粟生野の里、当時村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿をお借りになりました。その時、茂右衛門夫婦は、上人の真剣な求法のお気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」とお願いいたしました。

時は流れ承安五年(1175年)3月、ついに浄土宗を開かれた上人は20年間のお約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。」と記載されています。

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京都:小倉池の逆さ映像 [京都]



京都の紅葉を撮りに行ったとき、偶然に足で見つけた小倉山を美しく映す嵯峨野小倉池の風景です。風が無く池に映っている風景が最高!その映像をご覧下さい。

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京都:南禅寺三門からの眺め [京都]

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南禅寺三門が公開された時の映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「三門は寺院を代表する正門であり禅宗七堂伽藍(勅使門、山門、仏殿、法堂、方丈、鐘楼、経堂、浴室)の一つです。また山門とも書き、仏道修行のさとりの内容を示す空門、無相門、無作門をも意味しています。 南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。開創当時のものは永仁3年西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間に新三門へと改築されましたが文安四年の火災で焼失しました。

現在の三門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。」と記載されています。

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京都:天授庵 [京都]


武将だが歌人としても知られる細川幽斎が再興した天授庵の映像をご覧下さい。
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Wikipediaからの抜粋ですが「天授庵(てんじゅあん)は京都市左京区にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺の塔頭である。暦応2年(1339年)に虎関師錬(こかんしれん)が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立。戦国時代には衰退したが,慶長7年(1602年)に武将だが歌人としても知られる細川幽斎により再興された。
方丈前庭(東庭)は、白砂の庭を苔に縁取られた菱形の畳石が横切る枯山水庭園で、切石を組み合わせた直線的な構成は小堀遠州の発案である。
書院南庭は、杉やカエデが鬱蒼と茂る池泉回遊式庭園で、明治期に改修されているが南北朝時代の姿も残す。」と記載されています。

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東庭:Wikipediaからの抜粋
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南庭:Wikipediaからの抜粋
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京都:智積院(境内) [京都]

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豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松関連の寺院で、境内と庭園、襖画の二回に分けて投稿します。今回は境内の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)である。智山派大本山として、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係している。近世に入って、根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで、全山炎上した。当時の根来山には2,000もの堂舎があったという。」と記載されています。

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金堂:Wikipediaからの抜粋
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密厳堂:Wikipediaからの抜粋
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京都:金地院 [京都]

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小堀遠州作庭の鶴亀の庭を含んだ映像をご覧下さい。

Wikipediaからの抜粋ですが「金地院(こんちいん)は京都府京都市左京区にある臨済宗大本山南禅寺の塔頭の1つ。応永年間(15世紀初頭)に室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基を開山として洛北・鷹ケ峯に創建。江戸時代に徳川家康の信任が篤く、「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝(いしんすうでん)によって現在地に移転され、現在に至る。
東照宮は、崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って寛永5年(1628年)造営したもので、創建当初は日光東照宮と比された。
鶴亀の庭は、崇伝が徳川家光のために作らせた。作庭には小堀遠州が当たった(遠州作と伝えられる庭は多いが、資料が残っている唯一の例)。桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水庭園として知られている。」と記載されています。

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東照宮:Wikipediaからの抜粋
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明智門:Wikipediaからの抜粋
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鶴亀の庭:Wikipediaからの抜粋
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京都:勧修寺 [京都]

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真言宗山階派大本山、醍醐天皇の勅願寺の勧修寺の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院。真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。
当寺は昌泰3年(900年)、醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めたもので、胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。」と記載されています。

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観音堂:Wikipediaからの抜粋
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宸殿:Wikipediaからの抜粋
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氷室の池の杜若:Wikipediaからの抜粋
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京都:泉涌寺(せんにゅうじ) [京都]

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皇室ゆかりの寺院の一つである泉涌寺の映像です。

Wikipediaからの抜粋ですが「泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内(やまのうち)町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。仁和寺、大覚寺などとともに皇室ゆかりの寺院として知られるが、草創の時期や事情についてはあまり明らかではない。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣(おつぐ)が、自らの山荘に神修上人を開山として草創。」と記載されています。


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大門(重要文化財):Wikipediaからの抜粋
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仏殿(重要文化財):Wikipediaからの抜粋
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